おかげ様で私は短大生になりました。
仏教系の学校だったので
当然、仏教の勉強もありました。
父の影響から
小さい頃から仏さまの話は身近にあって
思えば、
私はキリスト教の幼稚園に通って
高校は神代って名前で、最後は仏様でゴール。
書き出すと面白い。
親家族とは表面上は普通であっても
私の中ではそれなりに思う事もある透明時代。
それが一変していくのは
勿論のこと「恋愛」です。
想いが通じ
晴れて恋人関係になると
透明じゃいられません。
自己肯定感が出てきて、
存在意義すらよくわからない透明人間は卒業。
親と衝突は必然となる。
社会人になって、外に出る時間が長くなって
箱入り娘が「自由」を主張する姿は、
専業主婦の母にとっては特に不安だったんだろう。
それでも透明人間が長かったので
外とウチのバランスが取れなくて
私の場合は体の不調としてあらわれました。
どこの病院のどの科でもたらい回しにされて
原因不明のまま。
昔からの頑張る私は あの頃それこそ
懸命に笑ってたなぁ・・・
母は、
「不安」が滲み出るような言葉と
「学校の先生の娘なんだから」
の二つのオーラで私を囲ってきて、
監視している感じ。
「人の気持ちが痛みが分かる人になってね」
この呪いも一緒になって頭の中でブレーキをかけて来る。
聖人の物言いしかしない父と、
何を言っても私の心を理解しようとしない母。
黙っていると勝手に解釈して納得している。
私の中で親にはもう弱味は見せない、
と、心のドアは閉めようと思いました。
luckyと出会って結婚。
その前に親も絡んでの手痛い恋愛を終えた事があって
親も責任を少し感じていたのか、
luckyとの事はあまり口を挟んでこなかったな。
短い交際期間で結婚したが、
1年立たないウチにLuckyは単身、修行の途へ。
で、私は実家に出戻り。
後に父から聞くと、
あの頃は私の事だけでなく
いろいろあったと。
それでも、かなりのウエイトで
私の事で心労をかけ続けたと思います。
そうして、
母は余命宣告されました。