1979年に発表し、45か国語に翻訳されて
世界中で大ベストセラーになった。
1984年、原作の前半部を映画化した
この映画のラストシーンに
原作者が訴訟を起こした。
ラストシーンのカットを
ミヒャエル・エンデは訴えたけど敗訴。
ミヒャエル・エンデの名前を
映画のクレジットから外すことで和解。
なんだか、書いていて悲しくなってきた。
私は「はてしない物語」を読んでいない。
読もう読もうと思って、読んでない。
映画の「ネバーエンディング・ストーリー」は
大好きだった。。。
原作と映像化で思い浮かんだ作品。
・・・・・
ファンタジー作品は特に、
個人個人が想像したイメージと
映像化のギャップが出やすいジャンルと思う。
主張したい作品「ハリーポッター」。
私の頭の中で世界を想像して没頭して
本を読んだ。楽しかった。
映画も楽しかったんだ、けど、
何故か、本を読む時に私の世界観が
映画の映像に上書きされて
映画のキャラクターが
頭の中で動き出した。
それはそれで、楽しいんだけど、
私が想像した大きな世界観は
ポッカリ穴が空いてしまったようで
映画の映像が強烈に頭に残って、
チグハグになった。
本を読むのも初めみたいには
熱が入らなくなった。
自由度が無くなって窮屈な感じ。
私の中で本も映画も中途半端な
作品になってしまった。
原作者の思いとかけ離れてしまうのを
裁判で決着かぁ。
しかも、原作者が敗訴・・・
なんか、ズキズキするなぁ。
「キャンディキャンディ」は
作品に罪はないのに、関係者の争いで、
世の中に出られない作品になっちゃった。
連続ドラマ「セクシー田中さん」。
大きく改変した内容になったのかな?
その後亡くなってしまった原作者さん。
まだまだあるね、こんな話し。
「イティハーサ」もそうだったらしい。
漫画家さんは出版社と折り合いがつかなくて
描きたい作品が書けないなんて
沢山あるようだね。
アニメ化も、原作と全然違うなんて、
しょっちゅうあるし。
売れる売れないも大事。
そして、時間の制約もある。
それに飲み込まれてしまう人間。
" 作品" が振り回される。
作品を取り巻く人々の縁次第って感じ。
怖いな。
いろんな教訓を学んで
同じことを繰り返す人間。
でもそこには
イメージは個々で違うんだ、と言う事。
なんだか話しが外れに外れた。
話を戻して
犬みたいなファルコンも
エンデは気に入らなかったみたい。
原作の挿絵は龍なんだって。
名前は、フッフール。
タロットカードにもフールがあるけど、
意味は
愚かな人。 馬鹿。 道化。 また、愚かなさま。
なんか、この前Luckyがドンキホーテの
話し記事にしてたね。
作者がフッフールをフールのエネルギーで
描いているかは分からないんだけど。
そして
龍かぁ・・・
辰年に龍の物語の復活のアナウンス!
そう。
なんだか、「はてしない物語」も
今の追いかけているエネルギーに
似てるような気がするんだよなぁ。
それをふまえて。
「ネバーエンディング・ストーリー」、好きです。
物語にのめり込みながらも
現実との狭間で葛藤しながら、ついに
物語の世界を救うべく行動に移す主人公。
私も一緒に大きな声で叫びたいよ。
それは
物語なのか現実なのか・・・
どの世界も、自分の世界は自分で作り出す。
そんな映画だと思った。
映画を見る前に本を読んでいたら
もしかしたら「ハリーポッター」のように
違和感が生じたかもしれないのかなぁ。
「はてしない物語」。
絶対面白いってわかってて
まだ読んで無いってことは
今から感動が待ってるって事。
映画を見たのは子供の頃。
大人なって、今が私にとって
ベストなタイミングで
読めるよって事。かも(*´꒳`*)
あらすじだけ読んでも
ワクワクしてくる!
楽しみ〜♡
問題は
時間をどう捻出するか
(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
今は、原作に沿って
丁寧に描く映像化作品も
多くなってきたし。
新しい
を楽しみに待ちます!