瑠璃色の空と海

~HappyとLuckyのふたりごと~

三鷹八幡大神と杵築大社と、振袖火事。

禅林寺と隣り合わせの三鷹八幡大神社。

ご祈祷は兼務社の杵築大社がするらしい。

 

ん?杵築大社?

 

" 出雲大社 " は

" 杵築大社 " だったって

つい最近どこかで聞いた?

 

 

調べたら、

三鷹市の杵築大社は

出雲の杵築大社(現在の出雲大社

と稲荷社を、勧請したとの事。

 

しかも!

出雲大社は、1871年(明治4)まで

「杵築大社」と呼ばれていたって。

 

結構近年に改名したんだ。

 

 

出雲大社には、別名が沢山あった。

明治時代に 一つの名前に統一したんだって。

 

 

所在地は島根県出雲市大社町杵築東195

なので「杵築」に由来した「杵築大社」が

一番多く呼ばれていた。

 

 

さらに『出雲国風土記』に、

大勢の神々が集まって大国主大神のために

宮(出雲大社)を寸付(きづ)いたので、

「杵築(きずき)大社」と

呼ばれるようになった 、

と記されてるんだって。

 

 

じゃあなんで、「出雲大社」に改名したか。

 

 

これまた諸説あるようなんだけど

 

明治時代になって

国家神道を推進していく中で、

出雲の杵築大社という名前の

「杵」という文字に問題があった、と。

 

 

聖徳太子の十七条の憲法

第一条にはこうある。

 

" 一に曰(いわ)く、

和をもって貴(とうと)しとし、

忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ "

 

 

………

 

 

「忤、杵」という漢字がなかった時代、

「午」と書いていたらしい。

 

〈「午」の意味〉

1、「うま」

2、「さからう」、「そむく(もとる)」

3、「交わる」、「交錯する」

 

 

つまり「杵」の漢字には

「さからう」という意味が隠れている。

 

 

………

 

国譲り神話の中で語られる

" 譲った " とされているエネルギーの中に

忍ばせたものもあるのかもしれない。

それでも、国をより前に進める為に

 

" おたがいの心が和らいで

協力することが貴いのであって、

むやみに反抗することのないようにせよ "

 

このような考えでまとまっていこう、

これを踏まえてこれからを考えよう。

 

 

聖徳太子の理念は、昔も今も、きっと

この先も時代を越えるエネルギーを持つ。

 

 

日本の始まりの神話、

きっと ずっと もっと

深い気づきがあるのかもしれないし

知る為には、勉強かー(^◇^;)

 

…………

 

あ、三鷹市の杵築大社だけれど

最寄りの武蔵境駅にも、

もちろん思い出が沢山。

神社近くの赤十字病院にもお世話になった。

 

本当に恥ずかしいけれども

神社があるだなんて、記憶の片隅にもない。

地図で確認したら、聖徳学園と隣接。

 

 " 聖徳学園という名称の由来は、

学校の創設者が浄土真宗の僧侶であり、

聖徳太子の教えを建学の理念としたこと

によります "

 

ってホームページにあった。

 

(`_´)ゞ

 

深いところで

エネルギーは呼び合う証明かな?

 

 

…………

 

さて、三鷹八幡大神社。

 

 

神社の歴史にはこうあった。

 

" 江戸の明暦の大火(振袖火事)で罹災して

神田連雀町から入植した人々の鎮守として、

寛文4年(1664年)に創建された。"

 

 

・・・この

「振袖」と「江戸の火事」。

 

これから、何度も何度も何度も!

学ぶエネルギーがやってくる。

 

それは、考えた事ない考えを

私達にもたらしていくんだ。

過去一最大級の驚愕の思いに

私は腰が砕けて立てなくて

頭にこだまする声がするような

何度も心臓が潰れそうな気持ちになる。

 

 

あと1、2ヶ月先で辿り着くけれど・・・

その話の前振りがここから始まっていたと

今、書きながら気がついている…

_φ(・_・

 

 

今回も【きづき】がいっぱいでした(●´ω`●)