ご祈祷は兼務社の杵築大社がするらしい。
ん?杵築大社?
" 出雲大社 " は
" 杵築大社 " だったって
つい最近どこかで聞いた?
調べたら、
三鷹市の杵築大社は
出雲の杵築大社(現在の出雲大社)
と稲荷社を、勧請したとの事。
しかも!
「杵築大社」と呼ばれていたって。
結構近年に改名したんだ。
…
出雲大社には、別名が沢山あった。
明治時代に 一つの名前に統一したんだって。
なので「杵築」に由来した「杵築大社」が
一番多く呼ばれていた。
さらに『出雲国風土記』に、
大勢の神々が集まって大国主大神のために
宮(出雲大社)を寸付(きづ)いたので、
「杵築(きずき)大社」と
呼ばれるようになった 、
と記されてるんだって。
じゃあなんで、「出雲大社」に改名したか。
これまた諸説あるようなんだけど
明治時代になって
国家神道を推進していく中で、
出雲の杵築大社という名前の
「杵」という文字に問題があった、と。
…
第一条にはこうある。
" 一に曰(いわ)く、
和をもって貴(とうと)しとし、
忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ "
………
「忤、杵」という漢字がなかった時代、
「午」と書いていたらしい。
〈「午」の意味〉
1、「うま」
2、「さからう」、「そむく(もとる)」
3、「交わる」、「交錯する」
つまり「杵」の漢字には
「さからう」という意味が隠れている。
………
国譲り神話の中で語られる
" 譲った " とされているエネルギーの中に
忍ばせたものもあるのかもしれない。
それでも、国をより前に進める為に
" おたがいの心が和らいで
協力することが貴いのであって、
むやみに反抗することのないようにせよ "
このような考えでまとまっていこう、
これを踏まえてこれからを考えよう。
聖徳太子の理念は、昔も今も、きっと
この先も時代を越えるエネルギーを持つ。
日本の始まりの神話、
きっと ずっと もっと
深い気づきがあるのかもしれないし
知る為には、勉強かー(^◇^;)
…………
あ、三鷹市の杵築大社だけれど
最寄りの武蔵境駅にも、
もちろん思い出が沢山。
神社近くの赤十字病院にもお世話になった。
本当に恥ずかしいけれども
神社があるだなんて、記憶の片隅にもない。
地図で確認したら、聖徳学園と隣接。
" 聖徳学園という名称の由来は、
学校の創設者が浄土真宗の僧侶であり、
聖徳太子の教えを建学の理念としたこと
によります "
ってホームページにあった。
(`_´)ゞ
深いところで
エネルギーは呼び合う証明かな?
…………
神社の歴史にはこうあった。
" 江戸の明暦の大火(振袖火事)で罹災して
神田連雀町から入植した人々の鎮守として、
寛文4年(1664年)に創建された。"
・・・この
「振袖」と「江戸の火事」。
これから、何度も何度も何度も!
学ぶエネルギーがやってくる。
それは、考えた事ない考えを
私達にもたらしていくんだ。
過去一最大級の驚愕の思いに
私は腰が砕けて立てなくて
頭にこだまする声がするような
何度も心臓が潰れそうな気持ちになる。
あと1、2ヶ月先で辿り着くけれど・・・
その話の前振りがここから始まっていたと
今、書きながら気がついている…
_φ(・_・
今回も【きづき】がいっぱいでした(●´ω`●)