井の頭弁財天の周辺から
湧いている池の水は、井の頭池を通り、
池の東端にある「ひょうたん橋」の下を通って、
「ひょうたん池」に流れる。
そこからの流れが「神田川の源流」となる。
江戸の2大上水。
弁天付近から湧いている水って、
" 井の頭・宇賀神 " のブログの
「お茶の水」の場所かな?
「お茶の水」っていえば・・・
私の記憶にある、いゃ〜な思い出が。
私は乗り物酔いし易くて、小さい頃は
まー本当に大変だった。
母は、実家が北海道だから
飛行機に乗って帰る為に羽田に行く。
私を連れて行く時、
中央線に乗っていて気持ち悪くなる。
吉祥寺過ぎる辺りからだんだん酷くなって
ハアハア言い出す。
両親は決まって言う言葉があった。
「もうすぐお茶の水だよ。
もうすぐお茶が飲めるよ。」
・・・?
お茶の水だから、お茶が飲めるから
何だって言うのかな。
だいたい、
駅でお茶を飲ませてくれた事なんて
記憶にないぞ?
普通にお茶の水を通過したぞ?
・・・それでも、お茶の水の駅に沿うように
流れる川を見て、親が、
「ほらお茶の色の水が流れてるでしょ。」
と言われながら
「本当だ、緑色だね~」って食い付いて
気持ち悪さが軽減して、
騙し騙し騙され騙され
空港に行く思い出・・・ (⌒-⌒; )
しょうがないね、飛行機の時間が
あるんだし。
沢山の荷物と子供連れて
親も大変だったよね。
私は、、、飛行機が
最大の山場だったんだけどね。
:(;゙゚'ω゚'):
まさか「お茶の水」に焦点が当たる日が来るとは!
( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
名前の由来は、江戸の始まりの頃に、
外堀を掘るための神田山切り崩し中、
水が湧き出し徳川家康のお茶をたてる
水となった事が地名の由来。
なんですと?
神田…山…と?
神田って、、、
そうか
神田駅の辺りは山だったのか。
太田道灌がここぞと決めて
作った江戸城周辺のエネルギーだし
強力なパワーがありそう、ね。
速攻地図を開いて、他の記事も探して読んだ。
神田山とは
本郷台地から続く高台になって、現在の
明治大学の創立100周年記念図書館周辺が
頂上付近らしい。
で、お茶の水駅の近くに
神田山がかつてあったと記されてる
看板や碑があるようだよ。
1590(天正18)年に
家康は駿府から江戸に入った。
その130年以上も前の1457(長禄元)年に
家康は、大勢の人々が永住できるようにと
日比谷入江の埋立工事を行う。
江戸城から近い距離の神田山を開削し、
その土砂で日比谷入江を埋め立てた。
又、江戸の上水道を整備。
平川(後の神田川)は、
江戸市中へ物資を運ぶ輸送路とし、
周辺の川も整え、
江戸の町を住みやすくしていった。
現在の日比谷公園や新橋付近の土地は
神田山の土砂の埋め立て地なんだね。
江戸は神田山を削っていろいろ
整備して作った町だったんだね。
…
神 田 山
漢字がシンプルで強い!
元々の神田山の神様は、
どこか近くに移ってるのかな?
きっと
江戸の町を整えるには
神田山だけじゃない。
沢山の野や山や川だったりを
埋め立てしたり、移したり、一緒にしたり、
人間の都合で
元々のエネルギーを沢山動かしたんだろう。
無くしたのもあるのかな。
良い事も悪い事もいろんな見方があって
私は
そのエネルギーに
気がついて知って学んで
力にしようと思う。
ただ、
日本人という人種があるとして
なんだか
見えないエネルギーと共に
祈り守り、歩んで行く歴史を
大事にしてきたと思えてきた。
忘れないで無くさないで
受け取って繋いでいこう。
私も。
ありがとうございます。