幽霊塔から江戸川乱歩までを
アップした後・・・
ブログランキングで異変が起きていた。
随分前に書いた鳩ノ巣渓谷の話が
突如として一位になっていた。
なんで?・・・
(・・?)
ブログの始めの方なんだけど。
ブログを読み返してみても
普通の文だしなぁ。。。
何か・・・あるんだ。
鳩ノ巣渓谷を深掘りたくなってしまった。
…
江戸時代、
〈明暦の大火〉で荒廃した江戸の復興のために
奥多摩の木材が多数伐採された。
木材は多摩川を通じて江戸に運ばれた。
なので、この渓谷付近に人夫が寝泊まりする
小屋が建てられ、水神社が祀られた。
この水神社に二羽のハトが巣をつくり、
それを村人達が霊鳥として愛護したことから
この地は「鳩ノ巣」と呼ばれる様になった。
ほうほう。
鳩ノ巣渓谷は、江戸の明暦の大火で
木材が必要になって運ばれた地だったんだね。
江戸の火災がここで繋がるんだ(@_@)
でも、これだけじゃないみたい。
平将門伝説が結構たくさん残っているらしく
鳩ノ巣駅から歩いていける所に
「将門神社」が・・・
…
そのむかしここに日本武尊の祭った
多摩八座の一といわれる〈穴沢天神〉があった。
その後さらに平親王将門がここへ祭られ
〈穴沢天神社は奥の院〉となった。
将門神社は明治に熊野神社(棚澤)に合祀。
将門神社の跡地は荒廃したが
昭和50年に社殿が再建された。
また将門の〈愛姫、御幸姫〉を紀る
御幸姫観音の石像が造立された。
将門神社には
将門馬上姿の銅像が安置されている。
これは東京赤坂氷川神社の将門神像を
模して造られた。
又、
御幸姫観音の像は
もと将門宮の神職家に所蔵されていた
護符の像影から写し取ったもの。
そして、
「将門神社」の文字は、
揮毫(きごう:毛筆で書かれたもの)らしい。
どれだけ大事に思い、
力を注いで再建したかが
伝わるようだな、と思った。
…
平将門が、馬の鞭にしていた
梅の枝を地に挿して
「我が望み叶うなら根づくべし、
その暁には必ず一寺建立奉るべし」
と誓いを立てた。
すると梅の枝は根づいて成長した。
そして誓いどおりに寺を創建した。
これが 青梅山無量寿院
金 剛 寺
の起源であるといわれている。
そうだ、そんな事を父は昔
話してくれてた気がする。
植えた梅の木に実がなったが、
なぜか黄色く成熟しないで青いまま。
この梅の木は「将門誓いの青梅」と
呼ばれるようになった。
そして「青梅」という地名の由来となった。
この「将門誓いの青梅」から分けられた梅が
吉野梅郷の梅の元祖らしい。
しかし残念のことに
ウメ輪紋ウイルスが2014年に発生。
約4万本の梅樹が伐採された。
この吉野梅郷。
私は思い出がいっぱい。
結婚する前も後も梅の公園には
何度も梅を見に行った。
父と、亡くなった母と、
時におにぎりを持って。
時にお茶菓子も持って。
母はいなくなり、、、
よちよち歩きの小さいHopeと。
梅の花の側で、
ラッパスイセンが咲いていた。
小さいHopeは、
お花に指を突っ込んでニンマリ。
父がそんなHopeを抱っこしながら
笑ってる写真が懐かしい時間を思い出す。
そんな思い出いっぱいの
吉野梅郷が復活してきているんだって。
2025年3月20日まで梅祭りを開催中。
思い出は、ハッキリ繋がっていってる!
きっと
繋がっていくエネルギーは
奥多摩にはまだまだありそうだよ。
鳩ノ巣駅の近くには
将門大橋
将門バス停
将門交差点
将門神社
将門がいっぱいだったんだね。
それから、
穴沢天神社と言えば、、、
二つの天神社には関係はあるのかな?
それから!
将門の愛姫、御幸姫!
愛姫とは、妻?娘?はたまた?
それより
私の注目ポイントは
やっぱり、【御幸】。
【み ゆき】と読むので良いかな?
…
そうデス(*´꒳`*)
私の中で繋がるのは
漫画「みゆき」デス(^_−)−☆
・・・
そんなわけで、
鳩ノ巣渓谷をまたおさらいして
新たにいろんな発見がありました。
沢山読まれた理由は、、、
まだ・・・あるのかな?
前に進む力になります。
読んでくださりありがとうございます。
m(_ _)m