瑠璃色の空と海

~HappyとLuckyのふたりごと~

上野山①戦争と大震災と、何か。

上野山・摺鉢山は

幕末から明治へ移る時には

新政府軍と彰義隊の戦場となり(上野戦争)、

わずか1日で壊滅した。

 

彰義隊の最後の激戦地は穴稲荷門。

 

忍ヶ岡の古地名から「忍岡稲荷」と

いわれ、石窟にあった事から

「穴稲荷」とも称されていた場所。


彰義隊が社に立て篭もり、

不忍池からは新政府軍による

砲撃が行われた。

 

・・・

 

その後

明治政府によって

境内の大部分が公園の敷地となった。

 

・・・

 

五條天神社は、

 

そもそもは摺鉢山の高い所に

お社が祀られていたが、

江戸時代に山を降り、

その後上野の町に鎮座。

 

上野の地で御遷座を繰り返したんだって。

 

 

大正12年9月1日 関東大震災

 

上野の街全体に拡がった火が

鎮火するまで4日位かかったそうだ。

 

社殿は、9月2日まで火がくすぶっていた。

その時の宮司

五條天神社の御霊をお守りするために、

忍岡稲荷にお預けしたのだって。

 

お稲荷さんは御創祀から、

ほぼ今の場所にあった。

 

 

いろんなご縁を巡り

今の隣接した場所に鎮座しているようだ。

 

 

忍岡稲荷は、

東叡山の開創時に天海により建立された

という伝承があるようだ。

 

このあたりに棲んでいた狐たちのすみかを

奪ってしまったことを憐れんで洞窟をつくり、

その上に御堂を建てて祀ったとの伝承が

沢山記事になっていたけど・・・

 

一方で

「江戸名所記」では、

太田道灌が勧請したという説を

とっているのだって。

 

 

室町時代太田道灌が勧請した

といういわれが今日まで伝わる、

この忍岡稲荷のキツネ伝説(狐穴)は、

江戸初期の寛永寺造営時にまで

さかのぼれるそうだ、との記事を読んだ。

 

当時は上野山の随所に洞穴が

見つかっていた可能性がある、と。

 

 

この、上野山・摺鉢山・古墳。

 

 

太田道灌も天海も

かなりのある種のエネルギーの

持ち主だとして、、、

 

守ろうとしたんだよね。

江戸の町を?

徳川の時代を?

 

何から?

 

 

 

私が気になるのは

この上野の土地のエネルギーの方。

 

 

痛ましい歴史と共に…

 

元々そこに、あった

知られていない

別の大きな何か?

 

 

が、あるんじゃないのかな・・・

と思ったんだ。

 

 

だって、

少し調べてみただけで

都心はいろんな結界が

はられているみたいなんだもの。。。

 

 

そうして、穴稲荷の中で感じた

あの、鉄格子の向こうの

エネルギーの強さ。

 

2人で口から出てしまった

「ここは、ヤバイ!」。

引き込まれそうな穴の中。

 

 

 

上野山・・・

成田山みたいに

沼ってきたぞ  (-_-)