五條天神社を調べたら京都にもあった。
〈京都の五條天神宮〉
大和国 宇陀郡から天神(雷神と水神)を
勧請したのが当社の始まりといわれる。
当初は「天使の宮(天使社)」と
称されていたが、後鳥羽上皇の時代に
「五條天神宮」に改称された。
天使!
エンジェルの宮ーっ
…天使・天神
どっちがどうでも、インパクト強いなぁ。
でも
空海が関わっていて
ただの天使なワケがない。
( ̄^ ̄)ゞ
…
宇陀郡を調べる。
⭐︎壬申の乱の際に
宇陀はその戦いの勝敗を決める
重要な地域だったらしい。
大海人皇子は、吉野に逃れた後、
宇陀の人々に助力を求めたんだって。
⭐︎継母に捨てられた中将姫は、
宇陀の地に匿われた。
そして、近くの吉野の地。
⭐︎後醍醐天皇は吉野に逃れ、
吉野を本拠地とする楠正成公の力を借りた。
⭐︎源義経も吉野へ逃れている。
している)
・・・
〈弱者側の逃れる先は【宇陀・吉野】〉!
吉野っていえば
吉野山の桜
吉野の梅林
そして、でた、アニメ繋がり
「絶園のテンペスト」。
吉野さん、出番ですよ (^^;)
…
このご祭神は、
出雲・・・
…
上野の五條天神社も、同神だ。
すでに創建から1900年以上がたっていて、
〈日本武尊〉が東征時に創建した
と伝わっている。
京都の「五條天神宮」は
空海が創建した社だから、、、
上野の「五條天神社」が
〈先にあった〉
ということ、だね。
両神社とも「宝舟」の神事がある。
…
それから
上野の五條天神社は
第六天なんじゃないか、
の記事を目にして
第六天!?
マジか!
で、調べてみた。
関東圏、特に武蔵国に多く創建された神社、
とある。
〈第六天神〉
元々は神仏習合の時代に
創建されたものであるが、
明治の神仏分離の際、
多くの第六天神社がその社名から
神世七代における第六代の
に祭神を変更した。
(淤母陀琉神(おもだるのかみ)・
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
とも表記するらしい。
※他化自在天とは
仏教の存在でありながら
神社に祀られてきた神様。
天魔を祀っていた第六天神社も、
祭神を改める必要に迫られた。
ふむふむ、、、
だんだん、なんとかの事情で
伏せてきた感があるなぁ。
それから
"【牛天神と言うのは五條天神のことである】"
の記事も目にとまった。
" 天神と言っても菅原道真の事ではなく、
でも、【牛】なんだ?
牛・・・といえば、、、
素戔嗚、牛頭天王も脳裏に出てくるなぁ
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
堯恵法師は「北国紀行」に、
文明19年(1487)の1月末、
武蔵野の東の境の忍岡に遊んだ時のことを、
" 鎮座社は五條天神と申しはべり。
折節、枯れたる茅原を焼はべり "
と書いているらしい。
また、
一説には医師天神から転じて、牛天神と。
いろいろ!記事を読んだ。
Happy的妄想だけども
〈わかって〉きたような気がする、、、
…
日本では人間にとって
超常的な力をもつ存在は善悪を分けず
等しく神として崇める性質がある。
人間に恵みを与える一方で、
大災害を起こすこともある。
八百万の神々も、同じだ。
善悪を分けずに祀るという
意識、文化、教訓は
確かにあるんだけど、
本当かな?
どこか
陰陽のバランスが
崩れていないかな?
…
上野の五條天神社。
蛇塚・古墳があったらしい
上野・天神山のエネルギー。
寛永寺建立の際は
山を降りて(移された?)戻ってきた。
五條エネルギーは
繋がっているのかどうか。
もっと調べたら分かってくるのか。
やっぱりなんとなーく
成田山のエネルギーと
似てるんだよなぁ。
強力な天使と魔王の力を持ち、
時の権力者との間で
物言わぬ歴史があって
秘されているような感じ。
そうして、
この天神社は、
まだまだ
私の学びをプッシュしてくるんだな。