いききの道を歩く前日の土曜日に
以前から気になっていた
府中の熊野神社古墳を見に行った。
この古墳は、
日本国内でもほんの数例しかない
上円下方墳(じょうえんかほうふん)という
貴重な古墳なんだって。
7世紀の中頃(飛鳥時代)に造られた
国内最大で、最古級の古墳。
ここに、神社があるとは知っていたけど
こんな立派な?古墳もあったとはʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
隣接する展示館もなかなか面白かった。
この辺りの古墳と遺跡
日本最古といわれる銅銭と同じ
「七曜紋」の鞘尻金具が発掘されている。
「七曜紋」の「●」は「星」を表す。
七つの星は
「日・月・火・水・木・金・土」を表し、
「日輪・月輪・光明輪・増長・依怙衆・
地蔵・金剛手の七菩薩」を意味する。
「北極星」を中心にまわる「北斗七星」は
「妙見信仰」の信仰の対象であり
「七曜紋」は「妙見菩薩」の象徴。
ここのお墓の主は、
判明されていないみたいだけど
かなりの力のある人だったらしい。
この七曜紋の鞘を身につけて
いたのだとしたら、
星信仰の人だったのかなぁ。
(面白い影、、、これ…誰だ?(゚∀゚) ・・・)
・・・
さて、古墳の思い出を一つ。
2017年11月。
日曜劇場「陸王」を家族全員視聴していた。
足袋作り百年の老舗が、会社の存続を賭けて
ランニングシューズの開発に挑む話。
舞台は埼玉県の行田市。
十万石まんじゅうも食べてみたいし
気になる場所もあったから
そらも連れて皆んなで行くことにした。
12月16日。
さきたま古墳公園。
埼玉県の名の発祥の地なんだって。
「前玉(さきたま)」が
「埼玉(さきたま)」となり
「埼玉(さいたま)」となったらしい。
古墳が映っていた。
ソラも思いっきり走って気持ちよさそう!
(写真は休憩中)
散歩しながら古墳を巡ってみた。
埼玉県立さきたま史跡の博物館より
丸墓山古墳の上から景色見ようよ!
と、ウキウキして階段を登ろうとした時、
突然Hopeは不機嫌になって
「登りたくない」と言った。
皆んなで登ろうよ~と説得するも
理由もよく分からないで結局Hopeは登らず。
せっかくソラも連れて来て
皆んなで楽しんでるのに!
こんなに見晴らしも良くて
気持ちが良いのに!!
Luckyとソラと古墳に登るも
私の気持ちのベクトルは、一気に降下線。
・・・・・
この後もずっと引きずって折角の日を
つまんない日にしたくないし~
駐車場に戻る道で小さい古墳の傍を
通りながらHopeに聞いてみた。
(今ブログ書きながら地図と画像見て
記憶を辿ると、あれは愛宕山古墳…!!
埼玉古墳群で最も小さい前方後円墳だって。
【愛宕山】に驚いている・・・:;(∩´﹏`∩);: )
「登りたくなかった理由はなあに?」
「理由も分からず突然機嫌悪くして
別行動すると皆んなも心配するし
テンション下がってしまうよ。」
Hopeは中学生だったかな。
ポツリポツリと気持ちを話してくれた。
私は予想してなかった斜めからきた答えに
感心というか、納得というか、
感動してしまった。
「だって、古墳ってお墓だよ。」
「それも、恐らくは力のある人の。」
「・・・発掘調査等して登って良いよって
なってるから、大丈夫なんだよ?」
「分かってるよ。
でも、お墓の主からしたら沢山の人が
勝手に入ってきて荒らされてるって
思うんじゃないかな。」
「自分なら、そんなことされて
上に登られたら嫌だなって思ったから。」
・・・
私はそんな風に考えたこと、無かった。
確かに。
古墳は、地域を支配する王や豪族が、
死後もその力や地位を示すために
作られた墓、なんだろう。
その気持ちをちゃんと伝えられたら
分かってくれる人はきっといるだろうに!
と思って泣きそうになった。
そんな思い出。
“関東七名城”の一つに数えられる名城で、
今年2017年(平成29年)には、
“続日本100名城”の118番にも選定されました。
点在する広大な沼地と、
自然堤防を活かした立地に築城された平城で、
水攻めにも陥落しなかったという逸話から
“浮き城”と称されました。