瑠璃色の空と海

~HappyとLuckyのふたりごと~

猿楽町で。①

2025年8月6日。

エネルギーが強い。

 

本日、朝ごはんを食べ終わって

瞑想しよう、と思った。

いつも毎朝の起きがけの時間にするけど

なんとなく、今、したい。

 

終わった頃、LuckyからLINEが来る。

 

そうか、氷川丸って、氷川神社からなんだ。

あれ?一昨日花火大会の事故あったね。

横浜だったかな?

ヤフーニュースで調べようと

スマホを開いて気がつく。

 

そうだ、今日は広島原爆の日だ。

 

丁度、瞑想していた時間だった・・・。

 

 

1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)、

日本時間午前8時15分、原爆投下。

 

はだしのゲン

「ほたるの墓」

この世界の片隅に

 

 

胸が詰まる歴史を伝える。

全人類、大事な歴史の日だ。

 

・・・

 

 

【猿楽町で会いましょう。】

 

 

この言葉の「背景等」は今はおいておく。

この言葉を受け取った後の

調べて繋がって行くことを書こうと思う。

 

・・・

 

2025年春。

 

この言葉を受けて、調べた。

 

先ずは、

この題名の映画があるんだね。

 

有楽町で逢いましょう」って

歌に掛けてるのかな?

 

槇村さとるの短編にもあったなぁ

       別冊マーガレット公式サイトより

 

さらに、調べる。

猿楽町、猿楽。

 

 

・・・

 

猿楽は

奈良時代に中国から伝来した「散楽」が発展し

猿の字をあてたのは平安時代以降のこと。

 

鎌倉時代

歌舞劇としての〈能〉と

台詞劇としての〈狂言〉に分かれた。

明治時代以降、能楽と呼ばれるようになる。)

 


猿楽は、舞楽や田楽などと共に

社寺の神事に取り入れられることが多かった。

 

【吉野猿楽】では、神事に参勤する際

〈翁猿楽〉が本務であり、

猿楽能は余興のひとつだった。

 

〈翁猿楽〉は、

一座の最長老が翁面をつけて

単調な所作をする翁舞で演者そのものが

神の依代と考えられた。

 

翁舞は一座の最長老しか勤めることができない

特別な芸能だった。

 

 

" 桧垣本猿楽 " は、【吉野猿楽】の一つ。

吉野の桧垣本の地を本拠地として

室町時代から江戸時代にかけての約300年間

日本各地で活動をしていてた。

 

室町時代吉野山では、

蔵王堂の境内に鎮座する天満神社

(現   威徳天満宮)で猿楽が行われていたと

「当山年中行事条々」に記されている。

また、

慶長3年(1608年)まで

高野山山麓の河根丹生神社

(現和歌山県伊都郡九度山町)で

翁舞を舞っていた。

 


でも、

江戸幕府による統制政策に対応する為

一族をあげて江戸に赴き

縁戚関係にあった「観世座」の名字を許されて

座の一員となった。

 

・・・

 

なるほど。

吉野山の  威徳天満宮

日本最古の天満宮というらしい。

 

そして、河根丹生神社か。

 

【吉野】と【丹生】の学びが

猿楽にも繋がるんだな。

 

 

そして、

猿楽町を調べる。

 

体の中の細胞が鳥肌が立つような

そんな場所に繋がる事がわかった。

 

一つは

以前ブログにあげた

渋谷の猿楽町、猿楽古墳。

www.emerald-family.com

 

そして

神田の猿楽町。

 

観阿弥世阿弥の流れを受け継ぐ「観世座」は、

江戸幕府から手厚い保護を受けた。

 

その家元 観世太夫や一座の人々の屋敷が、

現在の神田神保町一丁目~二丁目から

西神田一丁目~二丁目のあたりに

あったことから、「猿楽町」というのだって。


平成16年に地域から、

町名の神田冠称について要望があって

 

平成30年1月1日より

「神田猿楽町」へ町名変更を行った。

www.emerald-family.com

 

神田猿楽町で気になるのは

明治大学」・【明治】。

これも、何度も繰り返し出てくるワード。

(今回はスルーして先に進みます。)