瑠璃色の空と海

~HappyとLuckyのふたりごと~

トトロと、白旗塚と・・・

狭山事件の舞台となった埼玉県狭山市

 

宮崎駿監督のルーツの地でもある。

 

そんなドッキリ情報に辿り着いた。

 

宮崎氏の父は狭山市

航空機部品工場を経営していた。

そして、

宮崎監督は幼少期をここで過ごしたそうだ。

 

宮崎監督は、

2008年に石川さんと面会。

 

「この事件は日本の司法制度の問題点を

浮き彫りにしている。」として

 

再審開始を求める運動に賛同しているのだそう。

 

となりのトトロ」は、1988年の公開。

 

1963年に発生した狭山事件

作品の舞台となった近い場所で発生。

 

 

そして事件の痕跡や、類似点が隠されている

という都市伝説もあって、

 

作中のサツキとメイの名前が

皐月とMayであるならばどちらも5月。

事件の発生は5月1日。

 

サツキ12歳、メイ4歳を足すと16歳。

被害者も16歳。

 

その他、これはそうなのかもしれない・・・

と思うような複雑な事が、

一致しているようにも見えてくる。

 

他の宮崎作品も考えてみた。

各々作品の深い所に流れるエネルギーの

見えないイトが見えてくるような

そんな気持ちになってきた。

 

 

トトロが棲んでいるのは

サツキとメイの家の隣にある塚森という設定。

小さなトトロ達が森へ逃げてメイが追いかけて

行くシーンの場所みたい。

 

 

この塚森は所沢市北野にある「白旗塚」、

別名「小手指原古戦場」。

 

白旗塚の上の

「白旗塚の石碑」と「浅間神社の石祠」は

1kmほど離れた北野天神社境内に

移設され、塚の頂上には今は何もないらしい。

この辺りの写真を見ると、確かに

トトロの世界みたいだ。
 

そしてこの場所が

また違う展開になっていく。

 

・・・

 

埼玉県指定文化財(旧跡)
小手指ヶ原古戦場

(こてさしがはらこせんじょう)
 
小手指ヶ原は、鎌倉時代末期から

南北朝時代にかけて、

しばしば合戦が展開されたところです。
 
当時は一面の原野で、

北方は入會(狭山市)から

藤沢(入間市)あたりまでが

その範囲に含まれていました。
 
背後には、狭山丘陵があり、

また鎌倉街道の沿線にも位置していたため、

古来戦場になることが多かったのです。
 
特に歴史的な合戦のひとつとして、

元弘三年(1333)

上野国新田庄(現在の群馬県太田市)を

本拠とする新田義貞の鎌倉攻めがあります。
 
同年五月八日義貞は、

北条氏の支配する鎌倉幕府を倒すため

新田庄で兵を挙げます。
 
利根川を渡り、鎌倉街道を一路南下した新田軍は

十一日に、ここ小手指の地に至ります。
 
太平記によると、

はじめは百五十騎ほどであった一行は、

進むにつれ沿道の武士を加え、

最後には二十万騎にも及んだと記されています。
 
新田義貞の軍勢とそれを迎え撃つ鎌倉幕府軍は、

緒戦となった小手指ヶ原で三十余回も

打ち合いますが、勝敗はつかず、

新田軍は入間川狭山市)に、

幕府軍は久米川(東京都東村山市)に

それぞれ引きました。
 
翌十二日、

新田軍は幕府軍に押し寄せ、

幕府軍分倍河原東京都府中市)まで

退きます。
 
その後、

幕府軍は援軍を得て一旦は立て直すものの、

結局二十一日には鎌倉極楽寺坂への

新田軍の進軍を許し、

五月二十二日

幕府軍北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、

鎌倉幕府は滅亡するに至りました。
 
なお、背後にある小高い塚は

白旗塚(しらはたづか)と呼ばれ、

源氏の末裔である新田義貞が、

ここに陣を張り、

源氏の旗印とされる白旗を立てたという

伝承があります。
 
平成二十二年三月
所沢市教育委員会

 

       小手指原古戦場の解説板より

 

・・・

 

ここで、ハッとした。

 

【藤沢423号線】を調べていて

www.emerald-family.com

 

藤森稲荷神社も発見していたのだけど

この藤森。

実は私はオリエンタルラジオが好きだ。

中田敦彦YouTube大学をずっと見ていた

時期もあったし、藤森慎吾は諏訪の人

なんだよね。

なんとなく藤森藤森・・・って気になっていて

そして、藤森稲荷神社を見つけた。

 

「一般人は決して立ち入れない」、

「開かずの神社」であると知った。

 

「入れない神社」といえば成田の 湯殿山権現社。

www.emerald-family.com

 

・・・これは、絶対何かあるって思ってた。

 

 

 

7月7日に、箱根の帰りに白旗神社に行った。

白旗神社と藤森稲荷神社は近い。

 

 

藤森稲荷神社の説明が書かれた案内板には

 

「藤森稲荷神社の由来」
元弘参年 

新田義貞が鎌倉の北条高時を討つ途中、

この森に馬を止め近くの湧水を飲んだことから

その武名を慕って本社を建立した

といわれている。

当時は「藤」の群生地であったことから

藤森稲荷様と呼ばれ、

鵠沼では最古の稲荷様といわれている。

※元弘参年(鎌倉時代最末期)

 

とあるらしく、

新田義貞はここに寄ってから

鎌倉に攻め込むのかな。

 

・・・ここで

「逃げ上手の若君」が私の中で繋がった!!

 

元弘3年(1333年)、

5月【22】日に鎌倉幕府は滅亡した。

 

時行の生年に関しては不明だが、

兄の北条邦時

正中2年(1325年)【11月22日】に誕生。

 

元徳元年(1329年)【12月22日】付の

金沢貞顕書状」には、

高時に「今度御出生の若御前」がいると

書かれているので、これが時行のことであれば

元徳元年(1329年)12月頃の生まれと

推測される。

 

「逃げ若」の時行は、信濃国に落ち延び、

諏訪頼重諏訪大社で時行を匿った。

 

 

ゾロ目と、諏訪・・・だ。

 

 

ここで、また、もしかして?と思う。

 

 

上野国】新田庄から中氷川神社

所沢の白旗塚、大和のシリウス

藤沢の白旗神社、そして、江ノ島

なんとなく、一直線になった。

 

この線上の府中の住吉で私はLuckyに

初めて会ったんだ!!



なんだ、なんだ?