羽田空港第二ターミナルの
5階展望デッキ入口近くには青い牛がいるって。

何故、牛?
何故、青い?
何故、その体に夜空の模様?
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約800年前、
鎌倉時代に領主・行方与次郎が
牛頭天王を祀った。
自性院境内に祀られていた牛頭天王社は
八雲神社として独立。
明治40年に羽田神社と改称された。
羽田の「氏神様」として
羽田全域・羽田空港まで広く氏子を有する。
航空会社各社の崇敬の念も篤い。
正月から年間を通じて
運行安全・航空安全祈願の参詣がある。
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第二ターミナルの青い牛。
日本を代表する日本画家でもある
千住博氏の作品なんだそうだ。
作品にはこんなコメントが。
「太古の昔、月の形に似た角を持つ牛は、
天体の運行を司る使者として、
人々から崇められていた。
今、
このターミナルの作品『MOOON』は、
宇宙を仰ぎ、空を見つめ、守護神として
あなたの旅の平安を祈っている」。
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羽田は、
江戸時代に埋め立てられた土地で
塩害や水害の被害が多かった。
その為、
穴守稲荷神社が健立された。
明治期には電車が開通し、鉱泉が湧いた。
一大観光地になって、
境内には奉納された鳥居が
4万6797基もあったそうだ。
大正期に日本飛行学校が開校。
昭和初期には東京飛行場が開港。
穴守稲荷神社にも航空関係者が
安全祈願に訪れるようになったらしい。
米軍は、羽田一帯を強制的に接収。
この時、穴守稲荷神社の解体中に
体調不良を訴える者が続出。
鳥居を撤去しようとロープで
引き倒そうとするとロープが切れる。
作業員が大怪我をする。
工事責任者が病死する。
なんとか社殿は解体したが
鳥居を撤去しようとする度
大きな事故や事件が起きて
仕方なく放置されたのだって。
そして、返還後
現在の穴守稲荷神社に戻そうとするも
やはり急病人が続発する。
旧羽田住民らの丁寧な祈願によって
移設され保存されている。
住民も退去し神社も移転し、
全く関係のない場所に
かつての記憶を〈平和〉の2文字に変えて。
空港の敷地の隅に立っている姿を思う。
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鳥居に関して
驚いた写真を見つけた。

この写真は、広島市が設置した「原爆被災説明版」に
はめ込まれて島病院の前にあるのだって。
原爆投下の爆心地の島病院近くから
北の方向を写したものらしい。
倒壊した建物の奥に立つ
3本の鳥居があって、
他の二つの鳥居は倒壊した。
この鳥居だけ倒壊を免れた理由は、
爆心地から140mという位置で
原爆の炸裂ともに起こった爆風が、
ほぼ真上から直撃する形になり、
倒壊を免れたのでは、とのこと。
想像する。
頭上で爆弾が炸裂して全て壊し燃やし尽くす
光景の中、一つの鳥居が立つ。
〈護国神社〉の神様は
国のために命を捧げた先人たちの
「御英霊」。
特定の神々を祀るのではなく、
国事や国難で命を落とした「英霊」を
神様としてお祀りしているのだって。
目に見えても見えなくても
そこに、【有る】。
ありがとうございます。