瑠璃色の空と海

~HappyとLuckyのふたりごと~

猿楽町で。③

そして

 

これはもう、なんともいえません。

全国にはまだ他にも関連する場所は

あるかも知れないけど、

今時点で最後に辿り着いた場所。

 

表現出来ないくらい驚いて

 

【猿楽町であいましょう】

 

を受けた時の事を思って

全てが

張り裂けそうなくらい泣いた。

 

悩んで、でも書こうと思う。

どれも、感じた事に嘘はない、から。

 

 

広島への原爆投下から、本日で80年です。

心からの祈りと、覚悟を持って書きます。

 

 

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分

 

原子爆弾が上空約600メートルで炸裂。

 

爆心地は、島病院上空。

 

そこから北西に160メートル離れた場所に立つ

原爆ドーム被爆当時 広島県産業奨励館)。

 

島病院と広島県産業奨励館は、

それぞれ細工町、猿楽町と呼ばれた町に

ありました。

 

爆心直下の2つの町。

                   Wikipediaより

 

この地域一帯は、

藩政時代からの城下町として、

能楽(猿楽)師、細工師、医師をはじめ

大小の商家が軒を並べてにぎわっていました。

 

 

 

猿楽

病院、医師

鷹野

 

 

暗示するものは、なんでしょう

 

 

・・・猿楽町であいましょう。

 

 

恐れ、怖れ、畏れ。

 

そんな気持ちを分かって頂けるでしょうか。

 

(この【おそれ】の感情をこれから

何度かすることになるのですが。)

 

 

こわいです。

 

でも。

 

 

次の私になるために

 

 

 

「猿楽町で会いましょう。」

 

「はい、猿楽町で。」